2019/07/05 20:34
展示の情報がようやく解禁された。
慣れない服に身を通して、何ヶ月も前から打ち合わせを重ねた。モノを作る事に向けての時間は、とても良いモノだった。何もない現状を憂う暇があるなら、自分主体で勝ち取らなければならない。現状が嫌なら覆すしかない。誰かが手を差し伸べてるくれるなんて、なかなか無いのだ、僕らが身を置く世界には。だからこそ今回、心震えたのだ。何処に向かいたいか、誰と行きたいか、何をしたいか。自分で選んで、自分で掴む。何かに属していないから、自由で良いねとよく言われる。何かに属さない事を、自分で選んだだけだ。そして、誰にも何の責任を取って貰えない、まさに自己責任の世界だ、此処は。自由とは常に責任が付き纏う、其れが無いのはただの奔放だ。覚悟さえ決まれば割とシンプル。覚悟って割と簡単に言えちゃうけど、いざ決めるのって実は大変。何言ってんだって言う人は、それより前の段階だから、人には何でも言えちゃうね。まぁいいや、話が逸れる。今日は展示の話がしたいんだ。でも、これだけは覚えておいて欲しい。幸福の中で人は鈍る事がある。鋭敏だった人間が、鈍くなる様を見るのはとても辛い事だ。だが、不幸が人を鈍らせる事もある。幸福による鈍麻に比べて、不幸による鈍麻は悲惨な結果に向かう事が多い。誰かが手を差し伸べる事が出来れば良いのだが、そこで手を掴み返す事が出来るのは、幸せな人間なだけなのだ。だから、傷付いたとしても、拒まれたとしても、僕達人間は手を差し伸べ続けるべきなのだ。そして差し伸べられた人間は、理屈や頭でモノを考えるのではなく、他者の善意に縋って、良いのだ。余計なお世話なんて考えないでくれ。少なくとも差し伸べる側にも勇気はいるのだから。国際問題のニュースを見ながら、そんな事を考えていた。大きく逸れた。
昨年末、県の劇場を装花した後ぐらいかな。ずっと展示会場を探してました。恋史郎や福岡のCARBON以外のカフェでやる理由も意味も見当たらなくて、真新しい服に身を包んだあの高揚感を求めるように、モノを作る自分自身への期待と、この世で最も必要とされていない使命感に駆られて、ずっと探してました。カチッとした所でやっても「それっぽく」見えて終わるだけだし。不動産に通ってみてもシックリくる場所は無い訳で。せっかく温めた企画を妥協でショボくはしたくないから、今回は見送りかなぁと思っていた時に、JR九州が声を掛けてくれた、本当にありがとうございます。
ずっと無人駅で展示したかったんです。
人が居ない空間で、その上人が留まらない空間で。利用者は場所から場所への移動の為にしか訪れない空間で。日常の中に溶け込み落ちた空間で。其処に彩を加えたら。誰かの足を止めさせれたら。無人駅を目的に誰かが足を運んだら。不特定多数の人間の、人生という長い時間のほんの一瞬が僕の目論見通りに動いて止まり、また進み出す。たまんねーよな、って。
そして地域創造や創生・再生の観点から今、日本中の各地で無人駅の再利用活動が少しずつ行われている。中にはJR各社から各地方自治体へ無人駅の所有権の譲渡が行われ、民間や行政が新たな利用価値を加味して企画や活動が行われてる。でも、まだ九州にはその動きは無かった。やってみたいとは思っていたけど、そもそも自分の展示で、なんて頭にも無かったから、展示会場を探していた時には正直考えもしなかった。だけど、声を掛けて頂いた。だったら、って。何かを作り上げる時に、強い意味ひとつ携えて行うと、その角度が届かない場合思いの外脆く崩れてしまう事がある。それならば、多角的な角度から、多方面の理由を拵えて臨めば、思っている以上に面白いモノが作れるのではなかろうか、と。そして、九州の無人駅で何かを行った、初めての人間に僕はなる。ここまで読んでくださった方の中で、何の為にやるんだ、なんて言う人は居ないと信じたいけれど。小市民は挑戦者を笑う。君が読んでるこの文章、画面越し。一緒になって、ワクワクするか。何言ってんだって、クスクス笑うか。全てはそう、君の自由だ。
色々と長く書いたけど、僕は僕のやりたい事をやりたい様にしかやらない。だけど其れは決して独り善がりや、何をしても許されるなんて独裁的な考えからきていない事だけは理解して欲しい。花が必要とされる瞬間の多くは、祝福や幸せに満ち満ちている場所だ。そんな人達の、人生の大切な瞬間に立ち会える事は、言葉では言い表せない程嬉しくて、有り難くて、そして身が切り裂かれる様なプレッシャーがある。僕は僕のやりたい事をやりたい様にしかやらない。だから、決して妥協しない。人やモノに対して、決して諦めない。店の無い花屋なんて胡散臭さ2000%だけど、勇気を持ってその扉を叩いてくれた人間には、僕の持ち得る全ての力を注いで花を編む事を、自分の人生に課している。その為のオーダーメイド。その為のApricot Tearsだと、店主の僕は思っています。それにね。もし、誰かに手を差し伸べる事に躊躇いを感じたのなら、代わりに花をあげるのも良いのかもしれない。誰かに花をあげるのは、とてもワクワクするものだよ。そして其れを受け取って貰えるのは、とても嬉しいモノなのだ。そう教えてくれた人がいた。もう二度と会う事はないのだろう、君が見せてくれた世界は間違いなく美しかった。そして、僕を嘲笑って欲しい。
誰だって誰かに花束を。久しぶりに見返した自分の作品集は、そう紡いで始まっていた。大袈裟だけど受け取って、理由なんて聞かないでよね、ってSuperflyも歌ってるし。そんなもんだよな。
Apricot Tears 濱川大幸